音との戯れ

真空管アンプ

 オーディオに興味を抱いたのは二十代にならんとする頃。この先の人生に対して多感に模索していた頃で、なにやらモヤモヤした心の内を一緒に駆り立ててくれるものとしてクラシックのレコード鑑賞にのめり込んでいた。

 その頃父が所有していた、確かVictorだった様な気がするが60cm幅ぐらいの一体型ステレオレコードプレーヤ、真空管式でカートリッジはセラミック式、ブーンと微かにハム音が混じっていたがレコードをかけると音楽がそこにはあった。

 この頃電気屋さんでアルバイトした事があり、はやりのセパレート型ステレオ装置を客先のお宅へ設置しにたびたび出かけたものだった。設置が終わり、動作試験の為にお客さんのレコードをかけ曲が鳴った時の喜んでいた様子は今でも覚えている。また、親戚のセパレート型ステレオ装置が調子悪くなり、プレーヤ部分だけ秋葉原から取り寄せ入れ換えて延命策としたり、次第にオーディオに目覚めていった。
 二十代初めには友人達の影響もありJAZZの世界に迷い込み、移転前のBASIEや地元のBROWN等JAZZ喫茶なるものに通い初め、職に就いてからはALTEC DIG-IIスピーカ、LENCOプレーヤSONYのFETアンプ、YAMAHAのチューナー、VICTORのステレオカセットデンスケSONYのマイク等を順次揃えた。音源はエアチェックで、カセットテープがどんどん増えたものだった。カセットデンスケは、当時所属していた合唱団の公演会の生録に大活躍、調子が悪くなって何度も分解しては不調箇所をいじり尽くした相棒の様な存在だった。これらのオーディオ機材はちょくちょく出入りしていた地元のオーディオ専門店からの購入品だが、その店は当時東北初のレーザーディスクプレーヤ試聴会を開催するなど、ユーザーに様々な機会を与えてくれた。おかげで、いまだにレーザーディスクプレーヤを持ち続け、昨今の中古屋さんでのレーザーディスク捨て値状態に大喜びである。

 この頃、雑誌記事を参考に30cm×20cm位のケースに簡易オシロスコープを自作し、ステレオの右と左のチャンネルバランスを表示をさせたり、JBLのSA-600アンプのコピーを製作したりと自作熱も旺盛だった。このSA-600コピーは、かのオーディオ専門店がメーカー技術者を呼んで客の装置を測定すると云うので早速持ち込み測定してもらった所、周波数特性が低域から200kHz以上どこまでも平坦で、自分はもとより測定してくれたメーカーの人もビックリと云うオマケ付きである。ただ、このアンプは音に押しが無く物足りず、結局前述した当時日本初のFETアンプの廉価版購入となった。このSA-600コピーは最近物置の奥で見つかり、そのうちにオーバーホールしたいと考えている。残念ながら、自作簡易オシロスコープは今どこにあるかわからずじまいとなっている。ALTEC DIG-IIは真空管アンプで鳴らすのが良いのは知っていたが、当時は真空管アンプは高嶺の花で、自作するにもアウトプットトランスやらなにやら結構高価で、総計すると幾らになるか考えただけで尻込みしてしまった。代わりに真空管的な音がするとのFETアンプの選択と相成ったわけだが、FETをアンプに採用した初号機の頃の製品のせいか、DIG-IIから出てくる音は馬力無く、ペソペソした音だった。真空管アンプならいい音が出るんだろうなと感じつつDIG-IIと過ごす事10年近く、その間一人住まいから結婚、子育てと音楽鑑賞どころではない生活となり、テレビのステレオ放送化を受けてのテレビ音声をオーディオ装置で聞く様式や、ほとんどバックグラウンドミュージック的な音出しへの移行に合わせるべく、スピーカーをより小型のMISSION Model70 MKII、アンプ等を小型シンプルな入門モデルへ更新した。

 真空管アンプへの憧れがすっかり陰を潜めて25年近く、街の本屋さんには「無線と実験」誌が並び、最近の団塊世代の大量定年へ向けた「定年前から始める男の自由時間」本に真空管アンプ版が出版されるに及んで、またぞろ熱が出てきた次第。立ち読みした「無線と実験」誌2006年5月号に、「作って楽しむ小型パワーアンプ」の記事と、真空管バッファCDプレーヤキット(在庫僅少)の広告を見て、オール真空管でやるならまずは真空管バッファCDプレーヤキット、市場残数も少ないので今しかないと決意し購入、組立。輪をかける様に、2007年春の祖父の三十三回忌準備大掃除中に押し入れ奥から出てきたDIG-II、湿気ですっかり箱がカビて変形していたが、腐ったネジをドリルで削って開けた箱から綺麗なDIGの心臓409Bスピーカが出てくるに至っては、自作熱全開と相成った。
 

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