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中宮(高倉天皇の中宮徳子)のご安産ご祈祷のために特別な大赦が行われ、鬼界が島にいる流人の成経と康頼に対して、赦免の使いが向かうことになった。
島では、今日も成経と康頼が三熊野を勧請して熊野詣でをしているが、もう一人の流人である俊寛は水桶を携えてその帰りを迎え、水桶の水を酒に代えて酌み交わし、三人ともいつ都に帰れるとも望めない境遇を嘆き合う。
そこへ都から赦免の使いが到着し、俊寛が康頼に赦免状を読ませると自分の名前が無い。俊寛はそれを筆者の誤りかと訊ねるが、使いは冷然として俊寛一人は島に残せとの命であったと答える。驚いて自分も繰り返し呼んでみたがやはり我が名はなく、物狂おしいまでに取り乱し涙に昏れる。
俊寛はあきらめきれずに嘆願したがその甲斐もなく、使いは成経と康頼を舟に乗せてやがて去ろうとする。俊寛は船に取り付いて一緒に乗船しようとする。使いは拒絶し、なおも嘆願する俊寛を艪櫂で打とうとするので流石に俊寛も身を退くが、更に纜を掴んで引き留めようとする。使いは容赦なくその纜を切って船を出してしまう。
次第に遠ざかる船に向かって俊寛が声を上げて叫ぶ態は外目にも哀れなので、船中の成経と康頼は俊寛の赦免を斡旋しようと慰め、俊寛はこれを頼みにして一人船影を見送る。
曲柄:四番目(略二番目)
季節:九月
等級:九番習、高等二級
俊寛は、後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。1177年、鹿ヶ谷の俊寛の山荘で藤原成親・西光らと平氏打倒の密議が行われたが、密告によりこの陰謀は露見してしまう。俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流されてしまうのであった。
鬼界ヶ島に流された後、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛は加わらなかった。
やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く。 これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇の中宮徳子の安産祈願の恩赦を行うのであった。(平家物語)
素
謡
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