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正尊

 平家の追討を終えた源義經は梶原の讒言で兄の頼朝と不和になり、鎌倉に入ることを許されず都に留まっていた。その頃、土佐坊正尊が鎌倉から都へ上がって來たというので、自分を狙い討つための上洛と思った義經は、辨慶を正尊の旅宿に遣り、嫌がるのを無理に連れて來させた。
 義經の詰問に正尊は熊野参詣の爲の上洛で、途中少し病を得たために都に留まっていると嘘を云ったが、なお問い詰められる苦しまぎれに起請文を書いて讀み上げて詐りでないことを誓った。義經は勿論それを信じなかったが、ともかく起請文を褒め盃を與え、靜御前に舞わせなどした上で歸してやった。
 その後で、辨慶が正尊の旅宿の様子を探らせると、果たして夜討ちの用意をしていたので、そのことを主君に告げ、主從が武装して待ち受けていると、頓て正尊が郎黨を従えて押し寄せて來た。両者は激しく戦うが辨慶等の奮戦で寄せ手はみな討たれ、正尊は辨慶に生捕られる。

曲柄:四・五番目
季節:九月
等級:三級

 義經は捕らえた正尊を鎌倉まで帰してやろうとするが、正尊は断る。正尊はやがて六條河原で斬首される。これを機に頼朝の執拗な義經追討が始まり、義經主従の壮絶な逃避行が始まる。
 正尊の「起請文」は原典には見当たらず、作者の観世弥次郎が、父の小次郎信光が「安宅」のなかで辨慶の「勧進帳」を創作したのに倣って作文したとされている。この二つの文と、「木曽」で義仲の参謀・覚明が読み上げる「願書」が、「三読物(さんよみもの)」と呼ばれているが、曲そのものは三級で、読物の部分が重習の小書となっている。



 
   
   
   
    
 

    
        
   
    
      
      
      
       

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