ニシキド
錦戸

 兄の頼朝と仲違いした源義經は、奥州に下って藤原秀衡の世話になっていたが、秀衡の歿後、その長男の錦戸太郎は、次男の泰衡と共に、頼朝の命に従って義經を討とうと企て、更に三男泉三カの同意を求めるため、その館を訪れる。所が、三烽ヘ父の遺言を固く守って、容易にこれに應ぜず、口論の末、錦戸は終に兄弟の縁を切って歸った。
 その後で、三烽ェこの事を妻に咄してゐると、早くも錦戸と泰衡とが攻め寄せて來るという知らせが入る。それを聞いた三烽フ妻は、夫の最後を潔くする爲に自害し、その死骸に取りついて歎いていた泉は、頓て攻め寄せて來た討手の勢と力戦奮闘した後、持佛堂に入って腹を切ったが、床から轉び落ちるところを捕まえられる。

曲柄:四・五番目(略二番目)
季節:四月
等級:四級

 長男であり武勇絶倫と云われながら母親が蝦夷出身という説もあるようで、後継ぎになれなかった錦戸太郎国衡。そんな彼に遠慮してしまう次男で後継ぎの泰衡。そして、父の遺言に忠実で義経に好意を持つ三男忠衡。
 「吾妻鏡」文治5年(1189年)6月26日条に、泉三郎は兄・泰衡の手勢らによって襲撃され、命を落としたと記されている。「錦戸」では錦戸太郎と泰衡が攻め寄せており、泉を殺害した人物は「吾妻鏡」と「錦戸」では異なる。西木戸に館をかまえていたため、太郎は錦戸(西木戸)と称するようになったと云われている。
 義經は文治5年(1189年)閏4月30日に襲撃を受け衣川館で自害したとされており、忠衡の死は義経滅亡後となるが、「義経記」以来その前後を換えて忠衡の忠誠心を強調する話型が生じている。



 
   
   
 

 
      
   
     
     
     

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