ヒャクマン
百萬

 大和國吉野の男が、南都西大寺の邊りで拾った少年を連れて、山城の嵯峨の大念佛に参ると、一人の狂女が來て、念佛の音頭を取り狂った後、佛前に参り、我が子に逢わせ、狂氣を止め給えと祈る。それを見た少年が、我が母である事を連れの男に告げたので、狂女に、生國や狂亂の理由を尋ねると、奈良の都の百萬という者で、唯一人の子に生き別れ狂亂となったのだと答える。男はそれを憐れに思い、信心に私がなかったら逢えまいものでもないと言うと、ではでは法榮の舞いを舞おうと云って舞ううちにも、子供を尋ねて迷い歩いた様子を見せ、狂いなどしたのであるが、その舞いの後で、少年に會わせてやると、夢かと驚き、これも法の力であると喜んで、共に故郷に歸った。

曲柄:四番目(略三番目)
季節:三月
等級:三級

 清涼寺で嵯峨大念仏の法会に集まった多くの人々の前で「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」「南無阿弥陀仏」と音頭をとる狂女百萬。「南無阿弥陀仏」は京都・清涼寺の信仰の中心だった阿弥陀信仰の念仏。「南無釈迦牟尼仏」は奈良・唐招提寺、西大寺の信仰で釈迦信仰の念仏。南都で釈迦信仰を唱える円覚上人の宗派が、京都に進出し、京都の阿弥陀信仰を統合して二つの念仏の合体が行われ嵯峨の大念仏が始まったように、南都の女曲舞百萬(世阿弥五音:謡を曲趣により五つに分類。祝言・幽曲・恋慕・哀傷・闌曲)の京都進出、ひいては観阿弥・世阿弥による大和猿楽による京都進出が見え隠れする。



 
 

   
   
 
 

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