ホオカゾオ
放下僧

 下野国の牧野左衛門が相模国の利根信俊と口論の末討たれてしまう。左衛門の子小次郎は仇討ちをしようとするが、相手が猛勢とためらううちに月日が流れる。
 小次郎は幼少の頃に出家した兄を訪ね仇討ちを持ちかけ、ためらう兄に孝の道を説いて同意を得て、二人は敵を欺く為に流行の放下僧と放下に扮し、故郷に名残を惜しみつつ仇討ちに出かける。
 利根信俊は夢見が悪いため瀬戸の三島神社へ参詣するが、途中で放下僧と放下の姿に扮した兄弟と出会う。
 小次郎兄弟は、浮雲・流水と名乗り信俊に近づき、兄は自分の持つ団扇のいわれを、弟も携えた弓矢のことを面白く説く。その後禅問答に興じ、やがて兄は曲舞を舞い、羯鼓を打ち、小歌を謡ったりして相手を油断させ、ついに信俊の隙に乗じて兄弟一緒に斬りかかって首尾よく本望を遂げる。

曲柄:四番目(略二番目)
季節:九月
等級:二級

 牧野左衛門勝重が利根信俊に討たれ、兄弟が仇討ちをするきっかけとなった事件は、牧野佐衛門が伊香保温泉に遊んだときに起きたとされている。
 たまたま時を同じくして湯治に来ていた利根信俊と些細なことから口論となるが、その場は牧野左衛門の家来が利根信俊を打ち負かし収める。この事を逆恨みした利根信俊は、卑怯にも闇討ちで牧野左衛門を殺したのである。

 「放下」は南北朝時代から知られる遊芸人、現在の大道芸人である。僧形と俗体があり、この「放下僧」では兄が僧形の放下僧、弟が俗体の放下に扮している。
 放下が行った芸は、品玉、輪鼓、手鞠、羯鼓、こきりこ、曲舞などである。品玉は複数の玉を放り投げて曲取りするもので、玉の数は9個という記述もあれば、10個を操っている絵も残っている。輪鼓は、左右の手にもった2本の棒の先に綱がはってあり、その綱で一種のコマを弾き上げ空中で回し、落ちて来る所を又弾き上げて繰り返すものである。筑子(こきりこ)は、15〜20センチの竹棒を両手に1本ずつ持って打ち合わせたり、放り投げて曲取りをしたり、指先で回したりするものである。
 この「放下僧」では、クセのあと羯鼓を打ちながら舞う部分があるが、「筑子は放下に揉まるる。筑子の二つ乃竹の。代々を重ねてうち治まりたる御代かな。」と謡われている。また、兄弟と利根信俊との問答も芸の一種と思われる。



 
 

    
     
  
  
 
   
   
   

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