謡曲春秋

素謡

 「能は純日本的な舞台芸術」程度の認識で興味を持ち、職場の先輩の指導を得たのがこの世界を知るきっかけであった。能については研究や解説を著した書籍、あるいはネット上から知る事が出来るが、ここでは私見を述べたい。

 舞台芸術としての能は、謡曲・器楽・舞踊・彫刻(お面)・染織(装束)・建築(舞台)などの総合芸術で、趣味娯楽としては通常、謡曲と仕舞の稽古が行われる。私自身はこの世界を知り始めた当初に仕舞を少々嗜んだが、現在は長い事謡曲のみとなっている。謡曲が独立した稽古の楽しみとなったのは江戸時代初期からの様である[7]。謡曲は役それぞれの立ち振る舞いの様子を言葉で説明する表現やその役の台詞を謡い上げる事で曲目を演出している。この、役それぞれの立ち振る舞いの様子や役の心理状況までまでも言葉で説明する表現形式は、ギリシャ劇や、特にもシェークスピア劇に見られ様々な観点で比較される[6]ゆえんとなっている。妻が一頃見続けていたNHK「シェークスピア劇場」では、確かに役柄の心の内までもが高らかに台詞として述べられていた。

 謡曲の音程は雅楽の「五音十二律」の法則が反映されているとされているが、合わせる楽器がないだけ自由で、音感が無い私の様な者にとっては謡う度にこの高さで良いのだろうかとヒヤヒヤものである。更にツヨ吟とヨワ吟という謡い方があり、ツヨ吟は力・勢い・目出度さ・大きさ・深い悲しみといった、感情表現に都合の良い音域の狭い「語り」的要素の音域で、ヨワ吟は声楽的で優美・詳細・悲しみ・哀れ・華やかさといった表現に用いられる[7]。困った事に、謡っている場面場面でツヨ吟となったりヨワ吟となったり変化し、この事も音感不足の私を悩ます種となっている。

 さて、かように難儀しながら稽古をしている訳だが、長らく続けられている理由が最近見えてきた。十二月晦日の早鞘神杜の和布刈神事の時刻に沖から竜神が現れて海の道を開け、神職が松明をかざし和布を鎌で刈り取り神前に供えると潮が元のように満ちて竜神は竜宮へ帰って行くという「和布刈」、季節毎に畏怖を持って神事を行う心静かな真摯な描写に幼少の記憶がよみがえった。厳冬の小正月、豊作を願って田んぼに前年の藁の束を奉るしきたり。吹きすさぶ雪面からあたかも実り豊かな稲の穂がそこに生えている様な情景。豊穣を願った、裏返しの臼の上のお供え。擬態する事で木々の実りを願ったと思われる「みず木」。一つ一つの行事に託した、自然との共生感が清々しく湧き上がってきた。また、悪事の為に石にさせられても旅人へ害を与えていた狐が、凍てついた夜に玄翁和尚の法力によって成仏したという「殺生石」の稽古で、調子外れにならない様必死に謡っていた時に感じた、荒漠とした那須野原の夜陰に狐の怨念を纏いながら自分が草むらに居る様な不思議な感覚。

 能は幽玄の世界と解説され、物静かな舞台芸能とみなされている。能舞台で能を演じた訳でもないのにおこがましい限りではあるが、少なくとも謡曲を通して能を見た場合、所作は限りなく少ないもののそれぞれの役柄の内面では丁々発止と激しい掛け合いが行われる壮大なドラマと感じられる。まさに海面すれすれの視点で源平合戦の攻防を見届ける感覚、あるいは敵方に追いつめられ、爆発せんばかりの無念の情を吐露しながら海面下に没していく様、はたまた激しい悲恋の情念で死しても思いを募らせる人の性。

 稽古の曲目数も多くなってくると、内容に一定のパターンが有る事に気づく。思い立って出立した「旅する僧」[14]が、その土地にゆかりの物語に思いをはせていると、現実の人間の姿で主人公役が登場し、その土地のゆかりの物語を語って聴かせる。「旅する僧」がいぶかって尋ねると、実はその物語の中に登場するものこそが「私」であると言ってその主人公は消え去る。「旅する僧」が物語の亡霊の供養をして眠りにつくと、その祈りに誘われた主人公の亡霊が夢の中に再度登場し、昔物語を舞ってみせ、成仏出来ない怨念を語る。やがて「旅する僧」の弔いでその苦しみから解き放たれた主人公の亡霊は消え去っていく[4]。「旅する僧」の供養と眠りと「夢」を境に前半と後半に分かれ、主役はその姿を変える。このパターンをもってして、既存のあまたの物語を能固有の世界として再構築しているといえる。稽古を重ねる毎に、古来の様々な物語の主役達をこのパターンで疑似体験する事になる。「さ〜て、東国に旅に出ようか」と「旅する僧」が思い立った時から、稽古する私は現実世界から「旅する僧」と一体化した物語の世界の住人となるのである。


[1]観世流百番集、観世左近、合資会社檜書店
[2]世阿弥−花と幽玄の世界、白州正子、株式会社講談社、講談社文芸文庫
[3]観阿弥と世阿弥、戸井田道三、株式会社岩波書店、岩波新書(青版)719
[4]能、土屋恵一郎、株式会社岩波書店、岩波現代文庫800
[5]能楽への招待、梅若猶彦、株式会社岩波書店、岩波新書(新赤版)823
[6]能・文楽・歌舞伎、ドナルド・キーン/吉田健一・松宮史郎訳、株式会社講談社、講談社学術文庫
[7]能のすすめ、中森昌三、玉川大学出版部、玉川選書
[8]能の知恵、中森昌三、玉川大学出版部、玉川選書
[9]能の見どころ、中森昌三、玉川大学出版部、玉川選書
[10]能の世界、古川久、株式会社社会思想社、現代教養文庫265
[11]能の表現、増田正造、中央公論社、中公新書260
[12]世阿弥、北川忠彦、中央公論社、中公新書292
[13]あらすじで読む 名作能50、多田富雄監修、株式会社世界文化社、ほたるの本
この本はお薦めである。引き込まれる程に場面の瞬間が写し込まれているカラー写真と簡潔な曲目解説、物語の背景説明や能楽演者の視点からの寸評等が読む者を能の世界へ誘う。(2005年5月1日初版)
[14]ワキから見る能世界、安田登、日本放送出版協会、新生活人選書195
すべてをリセットしたい・・・・。そう思い切り、旅に出た「生者(ワキ)」は、思い切れない「霊(シテ)」と出会った。物語(能)は、ここから始まる。(帯解説から、2006年10月10日初版)
[15]お能の見方、白洲正子 吉越立雄、株式会社新潮社、とんぼの本
[16]能百番を歩く、杉田博明 三浦隆夫、京都新聞社編、京都新聞社
曲目解説や能舞台での演能の情景描写に始まり、舞台となった土地へ誘われて物語の深層が心に染み入る。(1990年3月31日初版)
[17]能をめぐる文化交流―東と西、古典と前衛、高田和文、静岡文化芸術大学、
  sowwwt.suac.ac.jp/~hidedoi/noh06_takada.pdf
[18]W.B.イェイツの『鷹の泉』の文化記号論的演劇空間-西洋演劇の中の能、海老澤邦江、江戸川大学、
  www.edogawa-u.ac.jp/files/kiyo/ebisawa_23.pdf
[19]政治的寓意としての能:「白楽天」をめぐって、スーザン・ブレークリ・クライン;荒木浩、
  大阪大学大学院文学研究科紀要. 50 p.29-p.68
  https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/9300/mgsl050_A029.pdf
著者は言う。住吉明神が主要な役割を演じた三つの聖典的作品である「高砂」「岩船」そして「白楽天」 は、それぞれこの明神の異なった側面を強調している。三つの作品の中では飛び抜けてよく 知られている「高砂」は、住吉の表象について、和歌の守護神という役割を、また当時の足 利将軍統治下の平和と繁栄を祝賀する役割を「白楽天」と共有するばかりでなく、住吉が、 常磐木の松によって象徴される、生命力の豊かさの神であることを表しているのである。

Return